二箇所|広沢池と巨椋池 今年も一年が過ぎようとしています。 広沢池は今年から息子さんが管理を受け継がれているようで、例年より少し静かめですが、モロコや鮒を買って楽しみました。身近な場所にある淡水魚を食べるという贅沢。今後どうなるのか少し不安もあ […]
“Can pollen explain the seasonality of flu-like illnesses in the Netherlands?” コロナ禍になって、自分はマスメディアの情報などは余り参考にせずに(そもそもテレビなどは見ないのですが)、業界から独立した視点を持ったウイルス学者や研究者の意見や論文などを大事な情報源として当たってきました。 そんな中で知 […]
柿畑の道 久々に新緑の柿畑を歩いた。物事に迷うと何故か道を歩きたくなる。この時期の柿畑も美しい。東を見るとニュータウン、そして手前にある城壁のような高速道路。思えば京都市の西部地域は多くの場所がそうであるように、常に開発の対象地だ […]
風景/写真/50mm 風景にはその都度の刹那的な要素と持続的に続く構造的な要素がある。前者にはその時々の雲の表情や光や風の様子が、後者には土地の起伏など地形的な要素が対応する。勿論、いずれの事物も動いてはいる。ただその動きは現象としての相同性 […]
写真のスケッチ ふと、ありし日の巨椋池の漁の写真を描き写してみる。へたくそだ。でも描くということで自分には体験できなかった事がどこか追体験できるような感覚が面白い。写真のスケッチにはカメラアイを解くという効果があるのかもしれない。気づか […]
泥の光 先日、いつもお世話になっている東一口のUさんに広沢池の鯉揚げを案内して貰った。巨椋池で漁ができなくなった今、正月料理の鮒を広沢の池に捕りに来ているという。ここは普段、風光明媚な風致地区だが、この時期は違う。 泥の湖面に降 […]