泥の光
2020年12月
先日、いつもお世話になっている東一口のUさんに広沢池の鯉揚げを案内して貰った。
巨椋池で漁ができなくなった今、正月料理の鮒を広沢の池に捕りに来ているという。
ここは普段、風光明媚な風致地区だが、この時期は違う。
泥の湖面に降りると見える風景がまるで違った。
ここでは「環境」という抽象的な概念はない。
喰らい、そして触る、全ては泥と共にある具体的な事物。
鯉は精力にも繋がるのか、売り手の言葉は自然、そのようなニュアンスも帯びる。
魚を取り、量りにかける人のこのような言葉も泥のように光っていた。